2代目業務調整員:谷口 光太郎(たにぐち こうたろう)
2004/5/22

 奈良市生まれ。大学では、国際法(主専攻)と環境化学(副専攻)を学ぶ。大学院修士課程において、気候変動枠組条約京都議定書の交渉過程を研究。

 1999年4月、旧国際協力事業団(現・独立行政法人国際協力機構=JICA/ジャイカ)に入職。旧東京国際研修センター、旧社会開発調査部での勤務を経て、2003年11月、JICAプロジェクト「ボルネオ生物多様性・生態系保全プログラム」の業務調整員として、マレーシア・コタキナバルに赴任。任期は、2003年11月5日〜2005年11月4日の2年間。

* * * * *

 JICAで最初の2年間は、旧東京国際研修センター(現・JICA東京)で勤務しました。JICAの国内機関は、いわば日本国内における国際協力活動の現場です。私は、開発途上国の行政官や技術者を日本に招聘して、研修を受講してもらう「研修員受入事業」に従事し、廃棄物総合管理、環境影響評価、オゾン層保護、アフリカ地域野生生物保護管理など、主に環境分野の研修を担当しました。研修員受入事業は、人を通じた技術協力を担うJICAの原点とも言え、世界各国からやってきた研修員との出会いは、私自身にとっても貴重な財産となりました。

 続いて、旧社会開発調査部(現・地球環境部等に再編)において、開発計画の青写真を描く「開発調査事業」に従事することとなり、パキスタンの治水計画、マレーシアの地域情報化推進計画、イランの地震防災計画、コロンビアの地下水開発計画などの調査を担当しました。扱う課題分野が多岐に亘り、また、平均して2ヶ月に1度のペースで海外出張に行くなど、それまでの仕事とは大きく様変わりしましたが、開発途上国の国家開発計画の一部を担うというスケールの大きさにやりがいを感じた2年4ヶ月でした。

 国内2部署での勤務を経て、いよいよ海外赴任。JICA職員は、世界56カ国にあるJICAの在外事務所で勤務するのが通例であり、マレーシアの場合、マレー半島に位置する首都クアラルンプールにJICA事務所があります。ところが、私の場合は、在外事務所ではなく、JICAプロジェクトの一員として、クアラルンプールから1,500km以上離れたボルネオ島のコタキナバルにやってきました。それが、この「ボルネオ生物多様性・生態系保全プログラム」(BBEC/ビーベック)です。マレーシアは、13州と3直轄地から成る連邦政府なのですが、私がいるコタキナバルは、サバ州の州都です。私はここで、サバ州政府の一機関である主席大臣府科学技術室において勤務しています。

 業務調整員の仕事は、非常に多岐に亘っており、関係機関相互の連絡・調整、専門家派遣・研修員受入・機材供与等の要請の取りまとめ、予算の執行管理、機材の管理、広報活動など、様々です。私自身は、生態系保全について特段の知見を有しているわけではありませんが、少しずつ勉強しながら、その道のエキスパートである日本人専門家の方々やマレーシアの人々と共に、プロジェクトが円滑に進むよう努力していきたいと考えております。また、JICA職員として、国際協力活動の最前線であるプロジェクトの現場で勤務する機会に恵まれたことは、大きな喜びです。時にはオフィスを飛び出して、ボルネオの大自然に包まれながら、保全の大切さを肌身で感じたいと思っています。

* * * * *

 海のない奈良で生まれ育った私には、コタキナバルでのベイ・サイド・ライフは魅力いっぱい! でも私にとって、コタキナバルは、それ以上に思い出の地です。大学在学中の1995年、旧総務庁(現・内閣府)が実施する国際交流事業「東南アジア青年の船」に参加した際、初めて訪れたマレーシアの地が、ここコタキナバルだったのです。わずか4泊5日の短い滞在でしたが、美しい自然と笑顔のあふれる人々との出会いがとても印象的でした。今回、縁あって、再びこの地にやって来ることができ、大変嬉しく思っています。

 どうぞよろしくお願いします。

上へ
閉じる

JICA