短期専門家の任務を終えて
2005/7/1
石原 元(淡水水産資源(甲殻類))

●サバ州再訪
 2004年11月22日より、2005年2月18日まで、JICAのBBECプログラム生息域管理コンポーネントにて、マレーシア国サバ州に3ヶ月滞在しました。生息域管理コンポーネントがフィールドとしている、タビン野生生物保護区周縁部に生活するティドン族唯一の現金収入の手段である、オニテナガエビの資源管理策策定が派遣の目的でした。生息域保全にはこの部族をプロジェクトに組み込む事が不可欠で、そのためには彼らの生計の基盤であるオニテナガエビの漁獲量維持方法の検討が必要でした。
 私にとってサバ州を訪れるのは今回が2度目で、最初の訪問は1997年7月、ダーウィン・イニシアティブ主催の「板鰓類の多様性・保護・管理ワークショップ」に座長として出席した時でした。このワークショップは、コタキナバルから30kmほど離れたトゥアラン郊外のホテルで開催されたため、コタキナバルは素通りで、本格的にサバ州と接するのは今回が初めてでした。

●コタキナバルからタビン、そしてセガマ川
私の所属先はサバ州政府野生生物局で、コタキナバル市内にある本局の事務所に通いました。局の事務所が5階で、同じ建物の7階にサバ州科学技術室があり、そこにBBECの事務局がありました。野生生物局では、長期専門家の坪内俊憲氏と打ち合わせながら調査を進めました。副局長のローレンシャス氏、課長のソフィアン氏、エドワード氏にお世話になりました。BBECで私の調査用ヴィザを申請してくれていましたが、なかなか下りて来ないので、しびれを切らして現地に入ることにしました。しかし、後で気づいた事ですが、専門家一人の面倒を見るための、車、運転手、そして私の場合は船の手配がなかなか大変な事であったようです。
それでも、コタキナバルに着いて約10日後の12月1日にコタキナバルからラハダトゥまで国内線のプロペラ機で移動しました。タビンをフィールドとして鳥類調査を行っている青年海外協力隊員の田仲謙介さんが一緒で心強い限りでした。ラハダトゥ空港にはレンジャーのヘルマン氏が迎えに来てくれていて、寝袋、蚊取り線香、飲料水などの買い物を済ませて、夕方にはタビン野生生物保護区に到着しました。ここの午後は非常に蒸し暑く、じっとしているだけで汗が吹き出して来るのには驚きました。夕食はリゾートホテルのレストランで食べて、夜は独身レンジャー用の宿舎で眠りました。タビンに2泊した後、車でトマンゴンに向かいました。ここには野生生物局のロッジがありますが、ロッジと言っても船用の倉庫、4人が宿泊出来る程度のスペースに、厨房、トイレ、テラスがある程度の簡素なものでした。トマンゴンはアブラヤシプランテーションの集積工場があり、工場の騒音で24時間うるさく、またアブラヤシの腐った匂いが充満していて決して過ごしやすくはありませんでした。但し、タビンより涼しいのが取り得でした。
いよいよセガマ川に漕ぎ出しました。野生生物局のクルーザーは5mほどの長さにマーキュリー社製の750馬力エンジン、クルージングは快適でしたが、燃費がリッター当たり3kmを切るという代物でした。セガマ川はサバ州ではキナバタンガン河に次ぐ大河で、日本で言えば利根川の規模と言えます。しかし、熱帯特有の河川で茶色に濁っています。金子光晴は「マレー蘭印紀行」の中で、河川水を森から出る尿(いばり)と形容していますが、確かに馬小屋の尿のようにも思えます。透明度はどう測定しても30cmを超えることはありませんでした。
河口に下りて行くと、低地林からニッパヤシ林に変化し、海が近づくにつれてニッパヤシ林がマングローブ林に変化します。クレメンツの植物生態学理論、遷移(サクセション)の実験場を見ているような景色です。そして、上空にはダイサギ類、カワセミ類が舞っています。
ここには同じティドン族でありながら、ティドン1、ティドン2、ダガットという3つのカンポン(集落)があり、カンポンティドン1はセガマ川に面し、カンポンティドン2はタビン川の支川に面し、カンポンダガットはタビン川の支川に面しています。オニテナガエビは投網とカゴ(ブーブ)で漁獲されています。いよいよオニテナガエビと対面します。

●オニテナガエビ
オニテナガエビはマレー語でUdang Galah(ウダンガラー)と呼ばれています。長い棒のエビという意味です。マレーシアではマーブルゴビー(Oxyeleotris marmoratus)に次いで重要な淡水資源で、サバ州では淡水水産物市場の30%から40%近くを占めるとされています。タイのトムヤンクンスープに入れるエビには本来はミソの味が濃いこのエビを使用したそうですが、今は海のエビが使用されています。
学名はMacrobrachium rosenbergiiで、命名者はde Man、1879年の記載になります。ジャワで採集された標本によって記載されています。Johannes Govertus de Manはオランダ人、1850年生まれですから、29歳でこのエビを記載したことになります。当初はライデン博物館で脊椎動物の分類をしておりましたが、無脊椎動物に転向したため、Schlegel(シーボルトの魚類標本を分類した)の怒りを買い、やむなく家で研究を続けたそうです。
オニテナガエビはロブスター類を除けば世界最大のエビで、鋏を含めた全長は60cm、体重は300gにもなります。成長したオスの鋏は鮮やかな青色で、その先端はオレンジ色、尾の付近には暗色の縞模様があり、オレンジ色の斑点もあります。養殖を目的に各国に移植されたため自然分布は明確ではありませんが、インドからスリランカ、タイ、スマトラ、ボルネオ、ベトナム、フィリピンまでが自然分布と考えられます。中国、台湾、沖縄のオニテナガエビは人為の移植で、フィジー、カリブ海島嶼域、イスラエルのものも移植による分布です。その後、カリブ海でもこのエビに再会しました。
オニテナガエビの特徴は淡水性でありながら、初期発生の段階では必ず塩分のある水を必要とすることです。そして、その塩分も海水そのものではなく、海水の濃度で15%〜25%、塩分で5〜10で、塩分濃度の選択の幅が非常に狭いのです。
ノープリウス期は卵の中で経過します。この時期の塩分が5〜10でなくてはなりません。孵化後、11段階のゾエア期−遊泳期を経過し(20日)、稚エビになり、底生生活に移行します。3cmまでは4〜7日に1回脱皮、6cmまでは9〜11日に1回脱皮、9cmまでは13〜15日に1回脱皮します。オスは体重25g、体長10cmで成熟、メスは体重12g、体長8cmで成熟します。
メスは交尾前に脱皮し、これを産卵脱皮と呼びます。この時にフェロモンが分泌され、オスがメスの産卵サインを受け取って交尾して、精子のサックをメスの生殖孔に付着させます。12時間後にメスが産卵し、精子のサックを通過する時点で受精が起こります。
最多の産卵回数が年間8回ですので、メスが抱卵している期間の20日を考慮するとほぼ1年中産卵、交尾、抱卵を繰り返している計算になります。産卵数は体長9cmまでで4,000〜10,000、13cmまでで40,000〜60,000、18cm以上では100,000になります。
また、東南アジアでは孵化後2ヶ月、2.5cmの稚エビが4ヵ月後に35gに達するという飼育結果から、自然界のメスは少なく見ても孵化後約6ヶ月で成熟すると考えられ、周年産卵、早期成熟を考えると、その繁殖力は強大と考えられます。広大な汽水域があり、稚エビの捕食者が少なければ、膨大な資源量が存在することになります。実際に、捕食者であるナマズ類の数は投網への入網数から見て少なく、オニテナガエビの捕食者はオニテナガエビしかいないと考えられます。

●カンポンダガット
野生生物局の船でセガマ川の河口域を調査して分かったことは、河口のラグーンが広大であること、地図上では繋がっていない河川系の多くが河口デルタでネットワーク状に連絡していること、淡水の勢いが強く汽水域の幅が数kmも続くことでした。また、タイやベトナムでは水田(止水系)にまで入るオニテナガエビが、ここセガマ川河口では濁った水に適応している河川生物(流水系)だったのです。
その内に野生生物局の船のエンジンオイルが不足していることが判明し、船をカンポンダガットに停留させ、我々はここでホームステイすることになりました。ヘルマン氏はタビンに戻り、レンジャーのズル氏、操舵手のミン氏、石原の3人はアジ村長の家に入りました。高床式の家の数十畳のリビングの片隅のベッドに蚊帳を吊って石原が眠り、他の2人は床にマットレスを敷いて、寝袋に入りました。料金は1泊20リンギット、食事は朝食が2リンギット、昼食、夕食が各8リンギット、総合計が1日38リンギットです(1リンギット=約30円)。
それからの毎日は朝食が6時半、7時半に出港して調査を行い、12時に弁当を食べ、4時頃に戻って沐浴し、午後7時に夕食をとって9時には床に就くという繰り返し、極度に健康な生活となりました。食事は主食のコメと、オカズは魚と野菜で必ず3種類以上ありました。肉のおかずは全くなく、時々鶏卵が出る程度でした。食後にはオヤツ時間と同じ甘い紅茶か、ミロが振舞われました。イスラム教の一家のため夕食は男性が優先で、アジ村長と共に真っ先にリビングで食べ、手づかみで、コメを沢山食べるのが習慣でした。大皿に1杯では許してもらえず、少なくとも2杯は食べる必要がありました。気に入っていたメニューはシレナシジミの野菜炒め、センニンガイのスープ、エビのシンジョで、朝食では揚げパンがほのかな甘さで口に合いました。
早朝は鳥の鳴き声に目を覚まし、昼間はテングザルやブタオザルの吼える声を楽しみます。沐浴時に脇を見ると、そこにはミズオオトカゲが泳いでいます。アカショウビンの仲間がよく木に止まってこちらを見ているかと思うと、ウの仲間が家の中まで入って来ます。近くのタビン川にはサイチョウの巣があって、そこを通る度にそのユニークな嘴を見せてくれます。
船はアジ氏の隣に住むサブラン氏の船をチャーターしました。燃料をこちらが出して1日25リンギットでしたが、エビ漁の収入の方が良かったと思います。エビはグレード別にkg当たりで「グレード1」が9リンギット、「グレード2」が4.5リンギット、「グレード3」が2リンギット、サイズ組成から換算して平均単価が6リンギット、漁獲量は最低でも10kg、多い人は30kgですから最低でも60リンギット/日の稼ぎにはなっている訳です。
学校が休みの時期のため、アジ村長の家には孫たちが多数宿泊していて、家族は30人以上に膨れ上がっておりました。トイレが1つしかないのですが、いつ用足しに行っても空いているのが不思議でした。発電機が9時に止まるので電気は9時までで、その後の夜のトイレは懐中電灯で行きました。リビングの裏が、倉庫、厨房、洗い場でその奥がトイレですが、そこは屋外と仕切られていません。デング熱が発生しているので、蚊には細心の注意を払っていました。ダガットは川に面しており、雨も多いので、夜になると寒いほどに涼しく快適な場所でした。但し、マレー料理にはやや飽きが来ました。

●クリスマスと新年
 第1次のフィールド調査は3週間で終了し、クリスマスはコタキナバルで過ごしました。タビンのレンジャーにもイスラム教徒、キリスト教徒が入り混じっていますが、イスラムの人々はラマダン(断食月)明けの大祭に長い休暇を取り、キリスト教徒はクリスマスに長い休暇を取る習慣とのことでした。私もレンジャーと一緒に町に下りました。
 サバ州はキリスト教徒が多く、人口の50%とも言われ、クリスマスは盛大に祝います。また、イスラム教の人々でもイスラム色があまり強くなく、金曜日にも働きます。私はホテルの1階(日本式に言うと2階)にあるバンドの入ったクラブで熱帯のクリスマスを満喫しました。イブは華やかでしたが、クリスマス当日はやや白けていました。そして、正月元日はエドワード氏の親戚の結婚式に参加しました。カダサン族の人たちの結婚式には特にセレモニーがなく、ご馳走とビールを皆で楽しむというものでした。

●サンダカンから再度ダガットへ
 正月早々の6日に、田仲さんを通訳にお願いしてオニテナガエビの市場調査のためにサンダカンに向けて出発しました。野生生物局から漁業局に連絡が届いていたため、漁業局サンダカン支所のキョン(強)さんが案内してくれて、カンポンダガットの仕向け先である冷凍工場まで見学できました。更に、HACCPを取得して欧米に輸出している会社まで見学することができましたが、これらの会社ではオニテナガエビのマーケティングにメリットはないとのことで、主体は海のエビでした。当初の予測と異なり、ダガットのオニテナガエビは冷凍後にマレー半島のクアラルンプールやセランゴール州に輸送されていることが分かりました。
 市場調査終了後ミニバスでラハダトゥに移動しました。ここで、水生昆虫調査のためにサバ州公園局クロッカー山脈公園に派遣されている青年海外協力隊員の岩田周子さんと落ち合い、一緒にタビン経由で再度ダガットに向かいました。岩田さんは水生昆虫の生息環境として水質調査を組み入れるため、こちらの水質調査に同行して練習することになっていたのです。前回調査でほとんどの項目を済ませていたため、今回は汽水域の範囲の特定、正確な漁獲量の把握、エビの体長測定、エビの販売収入の返還方法について調査しました。岩田さんのお陰で調査はスムーズに運びました。特に雰囲気がとても和やかになりました。
雨季のため、汽水域は河口から海域まで広く延長していました。海岸線を越えて沖に2km進んでも、表層の海水の塩分は淡水に近いものでした。底層でも純海水の濃度ではありませんでした。エビ販売人への聞き取りの結果、漁獲量は年間43トンと推定されました。しかし、その後の新聞記事ではこの6.5倍の年間288トンが計上されておりました。水揚げの現場を見た限りではこの年間288トンが実態に近いと考えられます。この年間288トンであっても、広大な汽水域の存在と、天敵の少ない環境から、現在の漁獲量は持続可能なレベルと考えられます。
アジ村長にエビ販売収入について聞き取りしました。岩田さんの通訳で大事な点を把握することができました。ダガットもティドンもエビ販売人がいるのですが、その販売収入は各漁師が受け取る漁獲収入より多くなっています。ここから、販売人の車代、その他手数料を引いて残った金額は通常の貨幣経済では販売人の収入になります。しかし、ここダガット、ティドンでは残額いわゆる利益をストックして、今後のエビ販売のための貯えとして残しています。従って、資本家の利潤を目的にした仲買の形態ではなく、あくまでも役割としての仲買がある訳です。
1月下旬にダガットを後にしました。アジ村長の奥さんがシュロで作ったウスベリをお土産にもたせてくれました。延べ20日間のダガット、延べ40日のフィールド調査でした。泥のサッカー場で楽しんだサッカーの思い出、Kiroroの「未来へ」を合唱した思い出、ガソリン不足でストップした船で救助を待った思い出などを心に刻んでコタキナバルに戻りました。

●プレゼンテーションによる資源管理策の提案
コタキナバルに戻ると報告書作成にとりかかり、並行してパワーポイントによるプレゼンテーションの準備をしました。そして、2月16日に漁業局関係者を招き、野生生物局主催で3ヶ月の成果を発表しました。
セガマ川河口域におけるオニテナガエビの資源管理策は以下のように考えられます。

1. 環境管理
・水質の維持(アブラヤシプランテーションに対する除草剤、成長促進剤の河川流入防止策の履行要求、下水の浄化)
・水量の維持(違法伐採の禁止、クリーン開発メカニズム(CDM)導入による地球温暖化対策)
・河川環境の整備(生活ゴミ投棄の禁止)
・生物多様性保全(移入種の除去、ホテイアオイ、養殖対象種のコイ、ティラピア類)

2. 漁業管理
・漁獲努力量の固定(漁業者数の固定)
・漁場の広域化(集中漁獲の回避)
・違法操業の禁止(河口域に侵入する底曳網船の排除)

3. マーケット管理
・製氷装置導入による高付加価値化
・漁獲後に氷で保存
・日本向け販売

そして、アクションプランも資源管理策に沿って提案されます。
1. 漁業
・河口域からの底曳網漁船の排除
・漁師数の固定
・漁場の広域化

2. 環境保全
・アブラヤシ農園周囲の築堤による薬物流入の回避
・違法伐採の厳重監視と罰則強化
・CDMの導入
・浄化装置の導入
・集中ゴミ処理場の設置
・移入種の排除

3. モニタリングの導入
・水質のモニタリング
・漁獲量、漁獲努力量のモニタリング

4. 流通改善
・製氷装置の設置
・漁獲後の氷蔵保管
・日本など販売先の拡大

5. 参加型資源管理
・責任ある漁業のための行動規範の遵守
・住民の合意形成による共同管理
・生物多様性に対する環境教育

●文明系と生態系
 予定通りの日程で講演発表を終え、報告書を完成し、日本に戻りました。帰国のフライトは午前0時半発のため、行きの日中便に比較すると疲れが残りました。ラマダンを避けたため、11月下旬からの派遣期間でしたが、熱帯のクリスマス、熱帯の正月、1月の犠牲祭(イスラム教)、タイプーサム(ヒンドゥー教)、そして中国の新年である春節を経験しました。「キナバル山」の著者、安間繁樹さんにもお会いできたし、サンダカンでは「風の下の国」の著者アグネス・キース邸跡も訪れることができました。しかし、からゆきさん達の墓には足が向きませんでした。
 BBECプログラムは生物多様性保全という途方もない相手に挑戦しています。46億年前に誕生した地球が、39億年前に生命を誕生させ、地上の生命は地球という場を共有して来ました。食うもの食われるものの関係でさえ、弱肉強食と一言では片付けられない摂理の中で場を共有しています。今、その地球は200万年ほどの歴史しか持たない1つの種Homo sapiensによって未曾有の危機に直面しています。文明系と生態系の共存がHomo sapiensに課せられた使命であると痛感致します。

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