生物多様性インベントリー専門家:
橋本佳明 (はしもと よしあき)
派遣期間:2002.4?2003.4
1956年生まれ 大阪市出身
兵庫県立姫路工業大学自然環境科学研究所助教授・兵庫県立人と自然の博物館主任研究員

BBEC研究・教育コンポ専門家

私は2002年4月からBBECの研究・教育コンポの専門家として、兵庫県立人と自然の博物館からボルネオ島にあるマレーシア国立サバ大学の熱帯生物学・保全学研究所(ITBC)へ赴任してきました。


写真©UMS

ボルネオとの関わり

赴任期間は1年間だけですが、私がはじめてボルネオ島を訪れたのが1994年3月ですから、同島との関わりはもう9年になろうとしています。当時、ボルネオ島サラワク州のランビル国立公園で、京大の井上民二さん率いるチームが、熱帯雨林に高さ35メートルのつり橋(キャノピーウォーク)を張り巡らして、林冠の生物多様性とその生態系の解明に取り組んでいました。私はそのチームの一員に加わって、アリ類のインベントリー(種の目録作成調査)を行うことになったのです。それから、毎年、同島や東南アジアの各地でアリ類の調査研究を行うようになりました。

このランビル初調査のとき、サバ大学にアリ研究者がいると聞きつけて、訪問した相手が熱帯生物・保全研究所のマリアッテイ所長でした。彼女は、同島の生物標本センターや、分類・保全生物学の研究・教育センターとなる研究所構想を熱っぽく語ってくれました。しかし、1994年当時、同大学はマレーシア国立大学サバ分校から独立したばかりで、キャンパスも未造成、すべてが白紙の段階でした。そこで、研究所創設立のモデルにしてもらおうと、1966年に私が勤めている兵庫県立人と自然の博物館に彼女を招待しました。これが切っ掛けとなり、1997年には,サバ大学と人と自然の博物館との間で学術交流協定書が取り交わされ、博物館が同研究所の創設やボルネオ島での生物標本収集活動の支援を行っていくことになったのです。

これまでに9回の合同調査をボルネオで行い、3冊の報告書を出版しました。また、サバ大学学長の博物館視察や、研究所のスタッフの博物館実習などの交流事業も行ってきました。さらに、環境教育にも一緒に取り組みました。1998年から、毎年7月に兵庫県の小中高生が熱帯雨林を体験するエコツーリズム「ボルネオジャングル体験スクール」を開校し、すでに100人を超える子供たちが同島を訪れました。2000年には兵庫県淡路島で開催された国際花博の会場に,ラフレシアなどボルネオ島の標本を使って熱帯雨林館をつくる事業も手がけました。ラフレシアは大人気で,700万人近い花博入場者のうち500万人がラフレシアを見るために熱帯雨林館を訪れたのです。

そして、2001年、マリアッテイさんの熱帯生物・保全研究所が完成しました。4つの標本収蔵庫や展示ギャラリー、DNAや化学分析ラボ、冷温室まで備え、東南アジアで最も充実した設備をもつ博物館研究所です。しかし、研究所のスタッフは若く、その研究・教育能力や標本・情報管理技術は残念ながら十分とは言えません。研究所が同島の生物多様性保全に貢献できるようになるには、外部から知識や技術を導入し、スタッフの人材育成に取り組むことが必要です。これは、同研究所だけの問題ではありません。ボルネオ島にあるすべての研究機関に共通した課題でした。私のBBECでの活動は、ここから始まったのです。

BBEC研究・教育コンポでの活動

BBECで、私は主に、1)生物多様性インベントリーと分類学研究の専門家育成、2)博物館コレクション設立のための基盤整備と専門家育成、3)データベースとネットワーク構築のための基盤整備の3つのことに取り組んでいます。

私たちが責任をもって、ボルネオ島の生物多様性を利用しながら、同時に保全を目指すためには、1)どんな生物がいるのか、どこにいるのかを調べ、2)その結果を分類整理し、記述して、3)誰もが利用できる情報として整備することが必要です。この3つの責務が達成されて、はじめて、生態学者や資源管理者、政策決定者が、同島の生物多様性を生み出した生態系の解明や、その保全管理、資源としての利用、あるいは、保全と農水産業や観光産業との調和に取り組むことが可能になるのです。

しかし、同島には動植物の標本やデータを集め、収集した標本コレクションを研究資料として活用できるように整理・保管できる専門家、そして、そのコレクションを同定し目録を作ることができる分類学者がほとんどいません。また、その情報を管理し、発信・共有するためのデータベースとネットワークの構築も行われてきませんでした。この3つの責務を果たすことができる専門家の育成と、そのための基盤整備がBBECの研究・教育コンポに与えられた課題なのです。

これまでに、カウンターパート達と2回のインベントリー調査実施、収蔵庫施設と標本管理システムの整備、標本管理データベースの講習会、インベントリーと標本管理に関する1ヶ月にわたる集中トレーニングコース、4回の生物多様性情報ネットワーク構築のためのベースライン調査、ネットワーク構築のためのワークショップなどを実施してきました。また、活動の成果をまとめた2冊のテキストと2冊の報告書も、カウンターパート達と一緒に作りました。

赴任期間が1年ということもあり、ちょっと、いそがしく活動しすぎたかもしれません。カウンターパート達からは、「日本人は、マレー人が5年かかってやることを、1年でやろうとする」と笑いながら、言われたこともありました。これには、「あなたは、もう日本人になっている」と言い返しましたが、本当に良く一緒にやってくれたと感謝しています。

人材育成そのものは短期間にできることではありません。しかし、熱帯生物・保全研究所がそろえた機材や日本が供与した機材をつかって、研究所やサバの研究機関スタッフがトレーニングを実施していく仕組みはできつつあります。この現地でのトレーニングを経た研究所スタッフの一人が、分類学で博士号をとるために日本へ留学することも決まりました。彼が日本から帰ってきたときには、多くの専門家たちが育ち、彼らと一緒になって同島の生物多様性に貢献してくれることでしょう。そして、私もふくめた日本の研究者たちとの友好関係が続き、世界を驚かせるような共同研究の成果が次々と公表される時代がくることを楽しみにしています。

おわりに

ボルネオ島の熱帯林は「生命の宝庫」と呼ばれ、地球上で最も豊かな生物多様性を有するホットスポットの一つです。今、その貴重な多様性が伐採やアブヤシ・プランテーションによって消滅の危機に瀕し、同島の「自然遺産」を早急に保全することが人類社会全体の課題となっています。

しかし、同島の生物多様性は、人類の自然遺産であると同時に、同島に住む人々にとっての「地域の自然」です。同島の「人と自然の共生」実現には、地域の人々が自らボルネオ島の貴重な生物多様性の価値を認識し、それをどのように保全しながら利用していくのかを考える力をもつことが必要です。外部の人間が、その貴重性をいくら訴えたところで、そこに住む人々が主体的に行動しなければ、自然は守れないのです。

1998年、私は生物多様性保全先進国であるコスタリカを訪問しました。ここでは、国立生物多様性研究所(INBio)を中心とした各研究機関の専門家が、地域住民のトレーニングを行い、彼らを技官(パラタクソノミストなど)に雇用して、1)インベントリーや、2)生物多様性情報のデータベース化、3)自然保護区のフィールド・スティション整備、5)エコツーリズムなどに取り組んでいました。コスタリカが、生物多様性を維持しながら、それを活用して地域の発展を推進するEco-developmentに成功した理由の一つが、ここにあります。

東南アジアには、生物多様性のホットスポットが多く存在しているにも関わらず、コスタリカのような生物多様性保全プログラムが行われている地域、国家は存在しません。BBECの活動がボルネオに専門家を育て、そして、彼らが地域の住民を啓発し、同島に東南アジア地域に初めてのEco-developmentが実現することを信じています。

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