塩の道トレッキング
2005/2/8
岩田 周子(青年海外協力隊(生態調査))
1月24日から27日まで、3泊4日で、クロッカー山脈公園内のトレイルを歩くトレッキングに参加しました。今回歩くトレイルはマレー語で「Jalan Garam」と呼ばれています。日本語で「塩の道」。クロッカー山脈を横断する形で通っていて、主要道路がなかった頃から、山側に住んでいる人達が、海側の町に塩を買いにいくために使われていたそうです。日本でも、長野県などにはこう呼ばれている道が残っています。昔、同様の用途で使われていたのです。

 最近、一般の観光客がサバ公園局の許可なしにトレイルに入ってきているものの、まだ公園局側はその数などを把握できておらず、管理も十分にできていない状態です。そこで、今回の目的は、トレイル沿いに点在するカンポン(村)の人たちと今後トレイルの管理をどのように行なっていくかを話し合うこと、トレイルの位置の地理的な把握(未だに曖昧なところがあったらしい)、そして、無線のつながる場所の確認でした。もし公園内をトレッキング中に事故が起こった場合、公園を管理しているサバ公園局の責任が問われることになります。緊急事態が発生したときの早急な対応方法を考えていくためにも、今回のトレッキングの重要性は高く、だからこそクロッカー山脈公園の公園長のマイポール自ら、企画し、公園の主立ったレンジャーが殆ど参加しました。

 森に入ってしまうと、携帯電話の電波は全く入りません。たまに、山の天辺のほうで、拓けた場所に出ると電波を受信できるという状態です。でも、公園局が持っている無線は、大概の場所で外部と連絡が取れることがわかりました。トレイル沿いに以前建てた、いくつかの休憩小屋の位置をGPSで確認し、小屋から小屋までの所要時間などもスタッフがしっかりとメモを取っていました。

 トレッキングと言っても、歩くトレイルは村の人々が移動のために使用することが主な目的なので、一般の旅行者向けに整備されているわけではなく、まさにサバイバル体験というような気分での過酷なトレッキングです。毎日、大きなリュックを背負って大体10km近くの距離の山道を歩くのは、とっても疲れます。しかもここは熱帯。ちょっと歩けば汗だくになって、余計に体力は消耗されます。何時間も下り坂が続くと膝ががくがくになり、標高の高いところのきつい登りは、すぐに息が切れて心臓が飛び出しそうになります。膝上の水深がある流れの速い川を渡らなければいけない時は、川底が見にくく岩が滑るので、杖を頼りに、流れに負けないように慎重に歩みを進めます。

 でも楽しいこともある。スタッフと24時間一緒いるので、あまり喋ったことがなかった人と仲良くなれます。夜は近くの村から地酒を買って、アラマイテ(サバの言葉で、みんなで集まって楽しく飲もう!という意味。)

 毎日の川マンディ(沐浴)も、トレッキングの醍醐味と言えるかもしれません。シャワーなんてないから、その日の宿泊場所(だいたい、村の集会所とか。)についたら、近くの川に石鹸を持って疲れた体を引きずっていきます。服を着たまま川に飛び込んで、服の上から、下から、石鹸でごしごし。汗だく、泥だらけの体をきれいさっぱり洗い流します。

 それにしても、こちらの男達のタフさには度肝を抜かれます。食料の米袋(5kg)に加えて自分の大量の荷物が入っている、妙に大きいぼろぼろのリュックを背負ってその日の行程を歩き終えると川に魚を獲りに行き(もちろん公園の外です)、料理を作り、夜は遅くまでアラマイテ。最後の晩なんて、一体どこにそんなパワーが残っているのか、へとへとに疲れている私を尻目にサバの人々はサッカーに興じ、暗くなるとアラマイテ、ついにはギターが登場してドゥスン(地元の民族)歌で大盛り上がり。ついには、その村出身のスタッフの家でカラオケまでやっていたらしいのです。毎晩9時には睡眠状態に入っていた私にとっては理解のできない行動でした。

 トレッキングは無事終了し、今回の目的も達成された様子です。だからといって様々な問題が解決されたわけではないので、今後も公園関係者はこの過酷なトレイル(私にとっては?)を何度も歩き、広大な山脈と、そこに住むいくらかの人々のよりよい管理の方法を模索していくのだと思います。

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