「サバ州民の環境意識を変える」という目標を「環境保全に向けた行動を起こさせる」に変えるまで

1. サバ州民の環境意識の現状
2. スケープゴートとしての「環境意識」
3. 変えるのは「みんなの心」ではなく「だれかの行動」
4. ターゲットグループの選定と活動の本格化
5. 人類進化とイスラム教
6. 意識の変化か行動の変化か?

2004/01/12
井口 次郎
1. サバ州民の環境意識の現状

 BBECの環境啓発コンポーネントがまず最初に取り組んだ活動の一つは、サバ州民の環境意識調査でした。アンケート調査などにより、生物多様性保全におけるサバ州民の環境意識の問題点を把握するとともに、その結果は今後のBBECによる環境啓発活動による意識の変化を計るためのベースラインとしても利用する予定でした。

 環境啓発コンポーネント作業部会のメンバーであるサバ大学社会科学部のアズマン講師が調査を計画しました。本調査では1000名に対するアンケート調査を実施する計画でしたが、まずはコタキナバル住民100名強に対しての予備的なアンケート調査が行われました。

 この予備調査の段階で、既に興味深い結果が出てきました。回答者に対して、サバ州内の保護区をたずねたところ、コタキナバルに最も近い国立公園であり、BBECの対象保護区であるクロッカー山脈公園は回答の中にありませんでした。回答者達はコタキナバルから毎日のようにクロッカーレンジ公園を見ているはずですが、そこが国立公園であると認識していません。

 また、回答者にサバ州内で保護されている動物を質問への回答からは、当初の意図からは予想外の発見がありました。回答の中で一番多かったのがゾウと並んでトラでした。しかし、サバ州をはじめボルネオ島にはトラはいません。ウンピョウをトラと呼んでいるという解釈もできますが、多くの人がサバにトラがいるという誤った知識を持っています。作業部会のメンバーである環境NGOの事務局長でさえ、上記のアンケート結果発表の後に、私に小声で「私も今までサバ州にはトラがいると思っていた」と告白していました。

 また、アンケート調査とは別に、BBECのロゴを公募しコンテストを行ったところ、応募作品の中にはサバ州には生息していないマレーバクやトラを描いたものがいくつもありました。自然環境保全に関心を持つ人でさえ、足元の自然について正しい知識を持っていないことを示しています。

 アンケート調査では自然環境保全の重要性についての回答者の意識も問われました。回答者の多くは自然環境保全が重要な課題と認識していますが、同時に、多くの回答者は産業開発に比べれば自然環境保全は重要ではなく、森林は今後減少していくであろうと答えています。

2. スケープゴートとしての「環境意識」

 以上のような意識調査結果などの観察をもって、コタキナバルをはじめとするサバ住民の「環境意識が低い」と述べることはたやすいでしょう。ただ、意識調査の準備をすすめていくにつれて、ある疑問が沸いてきました。サバの人々が足元の自然をよく知らないとして、BBECでは彼らに対して、サバにはトラがいないこととか、サバにはこれこれの国立公園があるといったことを伝えていけばそれでいいのだろうか、そして彼らがアンケートで環境保全は産業発展と同様に大事だと答えるようになればそれでいいのだろうか、という疑問です。サバの人々が自然について知識を増やし、環境保全の重要さを言葉で理解すれば、自然環境保全に貢献するというのは本当でしょうか。

 例えば、サバの動物を最もよく知っている人たちの中には密猟者もいます。サバの木々を最もよく知っている人たちの中には違法伐採者もいます。彼らは自然について深い知識を持っていますが、政府が行う保全事業に協力してはいません。人々が自然についての正しい知識を持つこと、自然環境保全に対して協力的な態度をとること、あるいは自然環境保全に貢献するある具体的な行動をとること、これらは関連しながらもそれぞれ違うものです。

 また、「環境意識」という言葉の中身は、対象となる人々によっても違っています。BBECにおいて環境啓発が求められた背景には、政策決定者が環境保全よりも産業発展を重視している、開発事業者の法の遵守が十分でない、保護区周辺住民が保護区管理に協力的でない、保護区の違法伐採が行われている、などの様々な問題があったためです。これら異なる諸問題の要因が「環境意識が低い」、という言葉で一括りにされてきました。

 かつてBBECを立案した際には、合計16回のPCM立案ワークショップが開催され、ワークショップの参加者は延べで300名以上に及びました。ワークショップでは頻繁に「環境意識が低い」という問題が提示されましたが、それを提示したのは主には環境保全事業を実施する政府職員やNGO職員でした。穿った見方をすれば、彼らは環境保全事業が成果を上げない理由を考える際に、「環境意識が低い」という、環境保全に関わる人々誰もが首肯する一般的な問題を、スケープゴートにしがちだったとも言えます。

 しかし実際には、どのような問題を取り扱うか、あるいはどのような人々を対象とするかによって、変化させるべき環境意識・態度・行動の内容は異なっています。このことに気づくと、標準化された質問項目により、サバ州民全体の「環境意識」を、1000名のサンプルをとって分析するという当初のアプローチは、かなり困難であり、かつ不適切であることが分かってきました。

 予備調査の結果を参照しつつ、アズマン氏やモクタール室長はじめ作業部会メンバーたちと、時間と手間をかけてアンケート用紙を何度も改訂しました。しかし、結局、標準化された質問項目によりサバ州民全体の「環境意識」を測ることは断念し、個別のターゲットグループ毎に異なった問題分析とベースライン調査をすることとにしました。

 当初計画ではプログラム開始から3ヶ月ほどで完了するはずだった意識調査でしたが、上記のような結論を得るまでには、一年近くかかり、遠回りの徒労感もありました。しかし、作業部会メンバーが、そもそも「環境意識」とは一体何かについて改めて深く考えたのは意義のあることで、それが以下に記す環境啓発コンポーネントの計画改善にもつながったのだと思います。

3.変えるのは「みんなの心」ではなく「だれかの行動」

 プログラム開始当初、環境啓発コンポーネントのプロジェクト目標は現在のものとは異なり、「サバの人々が生物多様性及び生態系保全についてよりよく理解し、評価する」というものでした。サバ州民全体の頭の中の「意識」を変化させるということです。

 ここで、環境啓発が、ある特定の考え方や行動に向けて人々を変化させるという点で、宗教の布教活動と似ていると考えてみましょう。「意識」を変化させるという当初のプロジェクト目標は、宗教の布教活動に例えるならば、「皆が神を信じるようになる」というような、きわめて妥当ではあるが、具体的活動は見えにくい目標です。

 なお、BBECに限らず、これまでサバ州で実施されてきた環境啓発活動は、おおむねこのような目標を掲げていました。環境啓発コンポーネントでは、初年度にこれまでサバ州でどのような環境啓発事業が行われてきたかを調べる事例研究も実施しました。政府機関・NGOが実施してきた26件の環境啓発活動について、それぞれの活動内容や成果の評価を行いました。結論として、過去の環境啓発活動の一般的な問題点として、啓発の対象者が明確ではない、目的が明示されていないか明示されていても具体的でない、長期的な視点を欠いている、評価を行ってない、などの点が明らかになりました。このような指摘は、過去の啓発事業の轍を踏むことなくどのように環境啓発を実施すべきか、我々に示唆するものでもありました。

 また、前記の通り、環境意識の中身は対象者と対象とする問題によって異なっており、それらを明確にしない限り、環境意識はアンケート調査などで分析できる操作的なものにはなりません。

 さらに、目標の曖昧な啓発活動は、外部からも批判を受けつつありました。プログラム初年度には、上記のようにベースライン調査や事例研究などの現状調査が実施されましたが、同時に、パイロット的な環境啓発活動を開始しました。すなわち、BBECウェブサイト立ち上げ、ニューズレター発行、クロッカー山脈公園での展示会、ラジオ環境番組放送、BBECロゴ・コンテストなどです。これらは作業部会メンバーの能力向上を図ることが主眼のパイロット的な活動であり、したがって啓発の対象者選定やその啓発効果についてそれほど深い考察はされませんでした。2003年2月に開催した第一回BBEC国際会議で、これらパイロット啓発活動の発表がなされた際、会場の参加者からコメントが出ました。「こういう環境啓発キャンペーンを我々はこれまでたくさん見てきた。お金もたくさん使われている。良いことだというのは解るが、実際どういう成果が上がっているかということがわからない」、という厳しいものです。

 以上の状況を受けて、プログラム開始から1年後(2003年3月)に作業部会で実施したモニタリング・ワークショップでは、プロジェクト目標を修正しようという提案がなされました。新たな目標は、「生物多様性保全のために、サバの人々の行動を変化させるためのモデルが確立される」というものです。この目標は、また宗教の布教活動にたとえるのであれば、「皆が神を信じるようになる」というような意識の変化ではなく、「より多くの人が礼拝に参加するようになる」、「教会への寄附がふえる」、「教会建設に人々が協力する」などの人々の具体的な行動の変化を目標としていこうということです。

 しかし、誰かの行動を変化させることは、頭の中の変化を促すよりも困難であろうし、また成功にしても失敗にしても結果は明らかに出ます。この点は作業部会のメンバー達も認識しており、中でもコンポーネント長としての責任を負うモクタール室長は、プロジェクト目標をこのように変更するのにはかなり及び腰でした。しかし、サバ州森林局で教員向けの環境研修を実施して来た作業部会メンバーが「今までだって我々は環境教育について経験を積み重ねてきた。失敗して全て失うわけではない。だからこの目標を掲げてみよう」と言ってくれたこともあって、行動を変化させるというプロジェクト目標でいくことに合意しました。

4.ターゲットグループの選定と活動の本格化

 その後、新たなプロジェクト目標にしたがい、サバの人々の行動を変化させるためのモデルとなるような、環境啓発活動のターゲットグループを選定しました。それは、教員、開発事業者、政策決定者、ジャーナリスト、非環境系NGOの五つのグループです。そして、それぞれのターゲットグループ毎に、彼らの具体的な行動の変化を目標に掲げました。

 五つのターゲットグループのうち、最初に作業部会が環境啓発活動に取り組んだのは教員です。教員についての具体的な目標は、「教員が生徒に対してより良い環境教育をできるようになる」とされました。この目標に向けて、まず教員を招いてワークショップを開催し、環境教育をする上での彼らのニーズとBBECでの教員への支援活動を確認しました。このワークショップの結果に基づき、その後教員に対する活動を展開しています。たとえば、ワークショップにて自然教育センターの最新情報が、教員達に十分知らされていないことが明らかになったことから、サバ州内の全自然教育センターのダイレクトリーを作成しサバ州内の全小中学校に配布しました。このほか、野生生物保護区での教員研修、環境教育をテーマとした日本の学校との交流支援などを実施しました。また、教員についてのベースライン調査も実施しました。前記の通り、サバ州民全体の「環境意識」を調査するのは、啓発活動の目標を教員の環境教育と具体化すると、そのベースラインとして調査すべき内容も、自ずと教員による環境教育の現状として具体的に定まってきました。

 政策決定者については、「政策決定過程において、より環境への配慮がなされる」ことを目的として、モクタール室長が率先して活動を企画・実施しています。これまで、サバ州閣議やサバ・サラワク州事務レベル定例会議におけるモクタール室長によるBBECプログラム概要の発表や、サバ州議会の会期中に議場での「サバ州の生物多様性保全」と名打った展示会の開催などを行いました。

5.人類進化とイスラム教

 ここまで記してきたことは、私が作業部会メンバー達と一緒に取り組んだ諸課題です。これらとは別の、私が個人として今回の仕事で感じた困難の一つについて以下に述べたいと思います。

 イスラム教では人類が類人猿から進化したという考え方を否定しています。赴任してまもなくマレー人の知り合いと動物園に行ってサル舎を見る機会がありました。私が何気なく「サルは人間と進化的に近いから仕草が似ていて面白い」と言ったところ、その人は顔色を変えて「なんでそんなこという!」と怒りだしました。獣とヒトが連続しているという考え方はどうしても認められないとのことです。この出来事から「もしや」と思いまして、その後何人かのマレー人の同僚たちに、ヒトが類人猿から進化したことを信じるかという質問をしました。はたして全員が「そんな与太信じません」という回答でした。驚いたことには、生物学者たちでさえマレー人は人類進化を信じていないのです。

 私は多少なりとも生物学にふれて、進化論的な自然理解や人間理解に慣れていましたから、これは久しぶりに大きな海外でのカルチャーショックでした。そして、このことから環境啓発について不安になりました。人類進化を否定するならば、たとえば、「ドリアンはオランウータンに種子を運んでもらうためにオランウータンの好物の果実をつけるように進化した。そしてオランウータンとわれわれ人類は近縁で味覚が似通っているから、われわれにとってもドリアンはおいしい。」といった説明はできないことになってしまいます。さまざまな生物からなる生態環境の中でヒトが進化してきたことを、生物多様性保全の根拠にできないことになってしまいます。

 もちろん、人類進化を認められない人々に自然保護意識はもてないということはないでしょう。たとえば、本プログラムの研究教育コンポーネントの長であるマルヤティ教授はマレー人であり、やはり人類進化を否定していますが、もちろん彼女が自然保護に無関心というわけではありません。いつも自分の学生や子供たちに熱心に自然保護の必要性を教えています。そこで彼女が強調するのは、人類が生態系の一員であるということよりも、人類が神の執事として自然を管理する義務があるということです。これは、キリスト教を根にした自然保護思想に見られる「Stewardship」とよく似た考え方です。

 また、こちらで自然保護関連のセミナーや国際会議に出てみると、よく「イスラムにおける自然保護」といったタイトルの発表があります。内容は、コーランなどにある自然関連の記述を列挙するといったものでした。自然保護の思想的宗教的裏付けに努力していると感じます。

 サバ州のマレー人に限らず、ある人や社会が持つ自然保護思想は、彼らの自然観・人間観と無縁ではありません。そして、自然観・人間観は彼らの宗教と無縁ではありません。日本と異なった文化圏には、異なった自然保護思想があり得るのでしょう。地域の自然保護思想はその地域の文化にある材料をもって作られていくものでもあると思います。人類進化を信じない人たちと一緒に環境保全に関わりながら、そのことを改めて知りました。

 マレーシアは多民族国家であり、サバ州にもイスラム教徒のマレー人以外に、土着のカダサン・ドゥスン族、華人など多様な民族がいます。上に記したマレー人の人類進化のとらえ方が、サバ州住民全体に当てはまるわけではありません。

6. 意識の変化か行動の変化か?

 上記の通り、このプログラムでは、当初は人々の「意識」の変化を目標としていましたが不都合が生じ、実施中に「行動」の変化に目標を変更しました。ただし、これをもって、いかなる場合でも環境啓発活動は行動の変化を目標とするべきであるとは思いません。

 本プログラムのように、5年間という限られた期間内に日マ双方の公的資金を使って実施する国際協力事業では、客観的に検証可能な形で事業の成果を示すことが求められます。また、本プログラムでは、環境啓発コンポーネントの他に三つのコンポーネントがあり、これらと効果的に連携することで、あるグループの行動の変化を促すことが期待できます。

 本プログラムをとりまくこれらの条件に照らして、明確なターゲットグループを設定し、行動の変化を目的とする環境啓発活動が適切であったと考えます。

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