初代BBEC国内委員長がサバ大学から名誉博士号を授与
(BBEC誕生秘話)
2003.10.17
草野 孝久
この10月11日、マレーシア国立サバ大学の卒業式で、この協力プログラムの初代国内支援委員長を努めて頂いた河合雅雄先生が、名誉博士号を授与されました。


河合先生は、京都大学霊長類研究所教授、日本モンキーセンター所長、日本霊長類学会会長などを歴任され、国際的に知られた霊長類学者です。また生物学の啓発や教育にも熱心で、120冊もの図書を出版されてきました。兵庫県立人と自然の博物館館長時代の1999年に、サバ大学との学術交流やボルネオ・ジャングルスクールを開始されています。


サバ大学は 1993年に設立され、今年第5回目の卒業生を送り出しました。マハディール首相から、生物多様性、海洋生物学、バイオテクノロジーの3分野を大学の中心課題として研究教育に取り組むよう指示され、その一つとして私たちが協力している熱帯生物学・保全研究所が設置されています。


熱帯生物学・保全研究所は、河合先生たち兵庫県立博物館が学術交流を開始した当初は、まだ理学部の3部屋を借りた準備室状態でした。理学部はオランダの政府援助機関DANCED(現在はDANIDAに統括)の支援を受け、生物学研究教育の人材育成プロジェクトが終わろうとしていたところでした。熱帯生物学・保全研究所のマリアティ所長は、研究所の建設は自前の予算で行うめどがついたが、大学院教育と国際的レベルの研究を実施していく組織的能力と人材、機材は不十分なので日本の協力を得れないか、河合先生に相談した訳です。


海洋生物学研究所長のリズワン教授は、マレーシア国立農科大学に在籍時代に3つの技術協力(JICA)事業に関わった経験があり、私も80年代から旧知の仲ですが、彼はその人脈を使って、日本のいろんな支援を受け3つの研究所のなかで最初に研究所を立ち上げています。このこともマリアティ所長たちの念頭にあり、そして兵庫県の人たちの真摯な協力姿勢、兵庫県の招きで訪れ目の当たりにした研究教育レベルの高さなどが、彼女や学長が日本の技術協力を受けたいという意向を固めるに至った経緯と聞いています。こうした先進国の技術協力があるか否かは途上国では新組織の立ち上げの明暗を分けます。バイオテクノロジー研究所は未だに準備段階を脱し得ないでいます。


さて、こうしてサバ大学熱帯生物学・保全研究所整備計画への日本の援助要請は、2000年に河合先生を通じてJICAに届いた訳です。


その時私は、JICAが旧・林業水産開発協力部を森林・自然環境協力部に改編した直後の計画課に在って、自然保全、特に生物多様性保全や生態系あるいは野生生物保護と言うこれまでにあまり開発援助にはなかった分野にどう取り組むべきなのかの勉強中でした。世界的な事例から、自然保全は研究教育、保護区の運営管理、そして賢い利用の資源管理をうまく連携しないと成功しないと言うことが分かり、また保護区周辺の貧困層や村落の開発と言う私たちが蓄積のある経験も活かした協力案件を発掘しようと当面の方針を決めました。さて、この方針を反映させた第1号プロジェクトはどこにあるのだろうかと、仲間たちと議論を重ね、やはり日本に一番近い超生物多様性(メガ・ダイバーシティ)地帯、資源管理がうまく行かず貧困度が増している、そして日本の経済社会と深い関係があり、日本人にとってはジャングルの代名詞みたいな森のあるボルネオで案件発掘を試みようと、基礎調査の準備を進めるうちに、この兵庫県の河合先生たちの勧めるサバ大学の要請と出会った訳です。

ですから、この名誉博士号授与のニュースを全面記事で報道した地元英字新聞が書いたように、「サバ州官房長の指揮の下、今では有名となったBBECプログラムの産みの親が河合雅雄博士」なのです。


大学での研究教育のみでなく直接保全に役立ちサバ州の資源管理と発展にも寄与するようなプログラムにしたいと言う私たちの考えを河合先生はよく理解して下さり、博物館の橋本助教授を調査団員として派遣して頂きました。プログラムの構想や研究所の整備支援についてはたくさんの示唆を頂きました。学生時代に河合先生の著書を読んで感動を与えて頂いた記憶のある私としては、JICAを代表してのこういう交渉は冷や汗ものでしたが、先生の大きく温かな人柄にますます感動させられたものです。


サバ大学もこうしたプログラム構想はむしろ望むところと州政府との交渉に協力してくれ、州の官房長と掛け合い、3回の事前調査を繰り返すなか、州政府の自然保全関係機関の全てを参加させる取り組みとしてプログラムが形成された訳です。通常であれば運営委員長となるべきサバ大学学長は官房長にその席を譲り、自分は日本側チーフ・アドバイザーと同格の副委員長を受け入れてくれました。


<ラフレシアの花を観賞される河合先生ご夫妻>

こうしてプログラムが開始することとなり、国内でこの協力を支援して下さる国内委員会の初代委員長には河合先生が就任して下さり、技術的アドバイスや専門家の派遣、研修の受け入れなどで心強い支援をいただいてきました。この4月に河合先生は兵庫の博物館長を退任され、後任の岩槻邦雄先生が現在このプログラムの国内委員長を引き継いで頂いております。


熱帯生物学・保全研究所はJICAや兵庫県立博物館などの支援で、2001年に完成した建物に必要な機材はほぼ整備され、人材の育成や組織体制の強化が進められています。スタッフの数も開所当時の1.5倍に増えました。BBECプログラムのお陰で、様々な活動を州政府機関と共同で行うことができます。大きな野外調査はいずれも保護区を管理する州政府機関との共催となり、州内外から研究者の参加を得ることもでき、大学院生の訓練や長期の研究フィールドも確保でき、保全技術や生物学の講習会には幾つもの機関から参加者が集まります。国際的な知名度が上がり、日本の科研費などによる共同研究をはじめ欧米や東南アジア各地の大学や研究所との交流・共同プロジェクトも増えてきています。


こうしたサバ大学の発展、地位向上への寄与が認められ、外国人としては初めて、歴代3人目の名誉博士が河合雅雄先生に与えられた訳です。このことは、JICAの技術協力も同時に認められたこととして、私たちも大いに喜びまた誇りを感じることができます。

国内委員長に在任中にはご来訪を得ることができなかったのですが、今回奥様とご一緒に大学だけでなく、クロッカー山脈公園での保全活動を視察して頂くことができました。州都から近いイノボン・ビジターセンターから公園の裏側の内陸部キニンガウ郡の市長との面談や公園本部に完成したばかりのネイチャー・センター(自然学習館)等を視察して頂き、住民を巻き込んだ保全や環境教育、エコツアー開発などを含む公園管理計画の進捗を報告し、ご指導を仰ぐことができました。大分遠くまでご案内したので、お帰りは夜の9時になってしまい、大変お疲れになったことと思いますが、80歳という高齢を感じさせないお元気なお姿に、そしてそれを支える朗らかで積極的な奥様のお人柄にも再び感動させて頂きました。


幸運にも満開の巨大花ラフレシアを御覧いただくことができました。鮮やかな赤茶色に白のまだらがくっきりとした一番美しい状態でした。ラフレシアは蕾から開花まで10か月前後かかり、開花後は4〜5日で腐ってしまうということで、なかなか満開の時に見ることはできません。私も森林局の運営するラフレシア・センターはすでに10回以上訪れていますが、これまでは歩いて1〜2時間のところに咲いているという情報しかなく、今回のように幹線道路から30m程度のところに満開の花があると言うのは本当に幸運なことで、これも河合先生のもたらされた恵みの一つと思えます。

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