コタキナバルの新年は静かに開けました。

2005.01.01
草野孝久

マレーシア政府は12月31日まで勤務ですので、私たちもそれに習い、大掃除をして午後はふだんより早めに帰宅しました。宗教や人種毎の大きな祝祭日の方がマレーシア国民にとっては重要で、西洋暦の正月は取り立ててお祝いするものではありません。通常は元旦のみが休日ですが、今年は日曜日が続いたので2日連休になりました。

 例年であれば、大晦日の夜には人びとは海辺にあふれ、リゾートホテルなどが年の変わり目に打ち上げる花火を見て暦が変わったことを感じ、若者たちが大声を上げながら海に飛び込むのです。しかし、今年は大津波による大災害があったばかりなので、嬌声は上がりませんでした。アブドラー首相が、津波の犠牲者を哀悼中なので新年を祝う派手な行事を控えるようにとのことで、花火は中止、リゾートホテルの夜を徹してのカーニバルも縮小されました。一般のビーチでも集まった人びとはまばらです。おかげでこの日の稼ぎを当てにして露天を出した貧困層は落胆したことでしょう。

 コタキナバルの新年は静かに開けました。

 私にとっては、初日の出を拝むことができたのが、唯一新年を感じさせるものでした。夏には名峰キナバル山の北側から出る太陽も。今はずっと南側のクロッカー山脈、つまり私たちの技術協力が新しい国立公園管理の在り方を模索している山々の辺りから朝日は昇ります。雲の具合がとっても良く、黄金色に光り照らされるなか、初日は神々しく昇ってくれました。

 2004年は自然災害が世界中を襲った年でした。日本は台風と地震で多くの人が苦しみ、マレーシアは土砂崩れや洪水で多くの貧しい人たちが犠牲になりました。そして、あの地震と津波です。このことをどう考えたら良いのでしょう。自然保全のために働く者としては、地球環境の悪化のこと、人間にはとうてい制御できない自然の脅威のこと、行き過ぎた開発のこと、そして災害のたびに犠牲者の大半を占める弱者、貧困層のこと、それでも止むことはない差別のこと、享楽をあくまでも追求しつづける人間の性、いや、そういう風にできている生物種の一つでしかない人間の行く末のこと、などなどに思いを巡らせてしまいます。

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