青年海外協力隊員が着任:のどかな村でホームスティを体験
2003.8.13
草野 孝久
写真:今村 志帆

新しい若い仲間たちがサバにやってきました。

 

 

 

青年海外協力隊(JOCV)の隊員達が4名サバ州に着任し、サラワクに行く隊員1名とともに、現地適応訓練の一環として内陸部のタンブナン郡でホームスティを行いました。日本で訓練してきたマレイ語を試し、マレイシアの文化を肌で感じる機会です。

 

タンブナンは、州都コタキナバルからクロッカー山脈を越えて車で1時間半。段々畑のつづく穏やかな山間の郡です。

第二次世界大戦前に郡の知事として任に当たっていた英国人は、日本軍占領下ではコタキナバルで捕虜にされたが、お妾さんが忘れられず、収容所を逃げ出しタンブナンまで会いに来て、結局また日本軍に捕まってしまったというエピソードのあるところです。今のような道路のない昔のことですから、ジャングルの中を3〜4日は歩いてのことと思います。お妾さんがいなくても、そののんびりしたたたずまいのなかで暮らしたら、癒されるだろうなと思えるのどかな村々があるところです。

郡長や郡選出の代議士たちが主催した協力隊員達を歓迎する夕食会に同席する幸運を得ました。この代議士とは80年代後半から90年代前半約10年近くも州の首席大臣を務めたパイリンさん。サバ統一党(PBS)党首。マフアの滝のビジターセンター開所式で来賓挨拶をしてくれた人です。彼は、首席大臣として好き勝手をやったように政敵達から言われてもいますし、彼の独裁的な時代が長く続いたことへの反動で、現在の2年おきに首席大臣を与党連合内で代える方式が生まれたとも言われています。

何度か直接合う毎に、そういう前知識からはほど遠いほど、パイリンさんは穏やかで人の良いおじさんに見えます。この夜も自分が建てた村の集会場で夕食を振る舞い、隊員達をダンスに誘っていました。この辺りのドゥスン族の踊りは、体を下げた腕とともに前後に揺すりながらリズムに乗り、興が乗ってくれば両手を鳥が飛ぶように拡げ、相方(男女)どうしでくるくる回ります。

ここでは、私たちの国立公園管理コンポーネントの活動の一環として、住民が自然保全に協力しながら収入を得れる方法としてのエコツーリズム開発を試みていますが、JICAの農村女性生活向上計画(開発調査)のパイロット地区としても、ホームスティ事業を進めています。パイリン一家は、この事業の良き促進者で、立ち上げの所を自分たちの親戚の家を使いながら普及しようとしてくれています。今回は、大事な協力隊員とあって、パイリンさんの妹の家などに泊めてくれました。隊員達は、村の素朴な暮らしを期待してきたのに、豪華な家に泊まることになったので残念がってましたが。
 
さて、この4人の新隊員達の一人の女性が、初のBBECプログラム隊員です。

このボルネオ生物多様性保全への協力は、JICA初のプログラム型案件(複数のプロジェクトを包括し、より高い次元での援助効果を目指すもの)と言うことで、スキームにこだわらず日本側の投入を行う計画です。JICAはどんどんスキームの壁を取り払い、いまでは技術協力プロジェクトはどのような投入でも可能となりましたが、ボランティア事業と無償資金協力は今後も別のスキームとして残っていくでしょう。援助が効率的効果的であるためには、こうしたスキーム間の連携も重要です。

彼女は、「編集」という分野で、環境啓発コンポーネントに配属になりました。執務室は、科学技術室に貰い、さっそくCP達との打合せやコンポーネントのワーキング・グループの会議に参加しています。私たちが広報や環境教育に使う資料・教材、HPなどのデザインや内容のプレゼンテーションをより効果的なものとして頂くのが、主な任務です。落ち着いてきたら、自己紹介文を書いて貰いご披露します。

次の隊次には、公園管理コンポーネントに「水生生物」の協力隊員が派遣される予定です。また、こんどの秋募集に向けて、「昆虫学」「植物学」「環境教育」などの隊員要請を出しています。このプログラムも、本部レベルでの活動が軌道に乗ってきたので、徐々に地方展開、特に住民参加促進や環境意識啓発、そして村落開発などに活動を拡げていきますので、協力隊員の活躍の場は増えると思います。(*要請に関する問い合わせは、協力隊事務局の方にお願いします。)

 

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