ダイアナ管理人になる:貧困とは何か?
2003年3月8日
草野 孝久
国際会議が終わって、ゲストスピーカーを案内したりしながら、現場の進捗視察を合計5日間かけてしてきました。

現金なもので、山にはいると、それまで10日間も続いてきた腹痛と下痢そして微熱はすっかり消えてしまい、何を食べても飲んでもお腹は大丈夫でした。がたがた道に揺られすぎて筋肉痛が残りましたが。いずれにしても、国際会議前と最中の不調は、自分の小心のなせる業であったと改めて理解した次第です。

クロッカー山脈国立公園のイノボン・ビジターセンターには、新たに3人の現業スタッフが雇用されて管理してました。嬉しいことに、そのうちの一人は私の知っている可愛い娘さんです。

このセンターから公園内のジャングルを突っ切って歩いて約7時間、テリアンという村まで調査に行ったことがあります。私が主に足を引っ張り水を浴びたような汗をかきかき7時間もかかりましたが、現地の人は4時間で歩きます。テリアンには山肌に張り付くように20軒あまりの家があります。

道路も電気も来てない村ですが、なんと衛星テレビを持っている家がありました。調査2日目は、ワールドカップの日本対トルコ戦。次の村への出発を遅らせて、ディーゼル発電機の油代を払ってテレビを見せて貰いました。レンジャー達も日本を応援してくれたのに、惨敗でした。おまけに土砂降りの雨がふるなか、弾まない気持ちのトレッキングは思うように進まず、村の子供なら1時間足らずという道で迷い、日が暮れてしまい、えらい目に遭いました。


左がダイアナ

その時テレビを見せてくれた家の娘さんダイアナがイノボン・ビジターセンターの管理人の一人になって、センターをきれいに掃除してくれてました。

1999年の7月にこの地に監視小屋を建ててからビジターセンター開所式までの訪問者記録は約80名。開所式後の約1月半で、270名の来訪記録がありました。新聞で結構報道されましたので、知名度が上がったようです。多くが地元ペナンパン州の人たちですが、州都コタキナバル、半島部マレイシア、シンガポールや英国、日本人の名前もあります。

なんといっても眺めが最高で、州都コタキナバルとその向こうに拡がる海、トゥンク・アブドゥル・ラーマン海洋公園の島々が一望できるだけでも、来た甲斐があると感じさせてくれます。午前中の雲が沸く前に来れば、北東にボルネオ最高峰キナバル山(4093m)の荘厳な山頂を見ることができます。

しかし、環境教育用の展示はもう少し魅力あるものに改善したいな、センター周辺のトレッキング道には植物の名前や観察できる鳥や昆虫の標識をつけたいななど、後で公園長ルディ氏と話し合いました。

こうやって、公園の施設管理にダイアナたち地域住民が雇われるなどして、公園局と地域住民の相互理解が進んでいきます。エコツアー・ワークショップの結果を踏まえて、住民主体でどうやってエコツアーを開発・運営していけるか、公園局はそれをどう支援していくかなど、米田・坂井の両専門家も一緒になって検討中です。

そもそも、この地に真っ先に公園のサブ・ステーションを建てることを支援することにしたのには、素晴らしい展望と州都からのアクセスの良さのほかに大きな理由がありました。

クロッカー山脈公園は沖縄本島やや大きめで、シンガポールの2倍の面積があります。イノボン・ビジターセンターは北西端にあります。その10数km南には、西側から幅数km奥行き20-30kmほどの細長い部分が公園の中に食い込んだ形で公園地指定から取り残されています。1984年の公園設置時以前に村落の存在が認められたためです。この地域はパパール河の上流部に当たり、下流域の公園西側海岸部にはパパールという人口数万人の都市があります。テリアン村はまだ公園の開口部に位置し、更に山奥にも小さな集落があ幾つかあります。町部からテリアンまでは、勾配が急であったりの理由で、道路はありません。イノボンまで歩いた方が幹線道路には近く、行政的にも下流域のパパール郡ではなく、イノボンと同じペナンパン郡に所属してます。

この辺りは、昔「塩の道」として内陸部と海岸部を結ぶ役割を果たしていたことが分かっており、このトレイルを復活させてエコツアーに使うことも含めて、米田専門家等が調査してます。英国を拠点とするオペレーション・ラレーというNGOの協力で、英国やマレイシアのボランティアがトレイル整備をしてくれてます。そのうち日本のボランティアも募集したいと言うことです。

私たちが協力開始前の調査でイノボンを訪れた時、山肌に醜い2本のブルドーザーで削った後がありました。濃い緑のジャングルを走る2本の赤茶色。1本は、いまのビジターセンターが建っているところまで到達していました。公園長の話では、この地区を管轄するペナンパン郡がある政治家の働きかけで、公園を突っ切ってテリアンまで道を造る暴挙にでたので、公園長はこの地に監視小屋を建てて、それを阻止したところでした。勿論、公園はサバ州公園局の管理下にあり、許可なく開発することはできないことになってます。しかし、クロッカーに限らずいろんな保護区で、管理する側の体制が整っていないために、保護区域内が不法に開発されるのを取り締まれず、既成事実化されてしまい保護が立ちゆかなくなる事例を目にします。

資金不足で掘っ建て小屋程度の監視小屋でした。ここにビジターセンターを建てて、この地の素晴らしさを理解して貰えば、こういう無理な開発も止まる筈だという相談を受けました。こういう背景から、公園内に8カ所ほど計画されているサブ・ステーションの第1号をこの地に建てたという訳です。

初めてダイアナと会った時、村で若者はあまり見かけませんでした。若者は皆町で働きたがると言うことです。中学校は町の寄宿舎から通えるように連邦政府の補助が出ます。町で暮らした若者のほとんどは、山奥の村の生活に戻ることはありません。ダイアナは村の生活が好きで、ある程度の収入が確保できれば道はいらないと初めて有った時に言っていたのを思い出します。

公園内を突っ切る道路建設は公園法上許されないとしても、村人が道路という都市部や開発へのアクセス手段を持つことを妨げるのはどうかという議論は残ります。私は、幾つかの理由から、この村は道路を持たない方がよいだろうと考えています。

まず、生物多様性や生態系の保全という遠い将来に渡っての人類の財産という議論は脇に置いて考えます。このパパール河上流域は、パパール市から州都コタキナバル近郊までに渡る区域の飲料水や農業の水源地となっています。この流域が開発され森がなくなれば、涵養林を失い水源不足に陥るだけでなく、洪水や土砂崩れという災害の頻度が増し、土壌の流亡も起きることが他の流域の例から想定できるからです。 

「多勢の利益のために、少数派の村の発展を妨げるのか」という議論もあります。道路ができても、一月あたり一戸1万円程度の現金を稼ぐのがやっとの村人が、車を買ったり、道路の便を利用して収入向上につなげれるかは厳しいものがあります。そんなに農業生産性向上の望める土地ではありませんし、まだ食糧は自然からの採集や狩猟にも頼っている生活です。私たちが調査で訪れた時も、村人から食糧を買うのは難しいので全て担いでいきました。1万円程度の現金が必要なのは子供の教育のためで、ほとんど現金の必要ない暮らしです。穏やかで貧困を感じさせない暮らしです。

公務員の大卒初任給でさえ4万円程度ですから、町部と村落部の所得格差はものすごく大きいと言う現実があります。道路ができることにより流れ込む物資や文化に対応するための現金を稼ぐために、村人の多くは出稼ぎに出るでしょう。そして彼らは物質的な貧困や差別感による貧困を感じるようになります。

もう一つ他の地域で起きていることは、道路ができるとどこからかやってきた人たちが道路沿いに家を建て、焼き畑を始めたり、小さな商店を開きだします。政府はこれを取り締まることができないので、数年経つと既成事実化してしまうことです。テリアンや近隣の村人が道路の恩恵に預かる前に、都市部や他の地方から流入する人たちが自然を失った見返りの恩恵をかすめ取ってしまう筈です。

他の地域で見られる恐ろしい現実は、道路ができた地域には必ず資本家が開発の食手をのばしことです。村の人たちが所有権を主張できない森林部は、州有林とされています。Forest Reserveは森林保護区と訳されることが多いのですが、実際は保護しているのではなく、reserveつまり「保持=まだ取っておく」森林で、誰かが伐採や開発を申し出て州政府の収入源にもなると判断されれば、申請は許可されます。サバ州内の奥地にどんどん道路ができ、州有林が伐採され、プランテーションにされ、リゾート開発されています。村人たちは開発の恩恵にあずかるところか、これまで依存してきた自然資源さえも失ってしまいます。水源涵養林も穏やかな村の暮らしもなくなります。村人の行き着く先は、村で自然資源に依存できなくなることに因る貧困か、都市部で物質的・精神的格差に直面する貧困のどちらかになってしまいます。

「開発」とは開発したい側の便利な言葉です。穏やかで幸福な村の暮らしが、開発という名のものに町部から侵入する欲望に踏みにじられることは避けなければなりません。今の山の暮らしが好きだ思っているダイアナのような人たちがいるうちは、あの村を都市とつなぐ道路はなくて良いのだと思います。ダイアナは、スタッフとして村人中心のエコツアー・ワークショップに参加してました。「外国や都会からの旅人が時々やってきて、村に少しの現金を落としていってくれればいい」と言ってました。

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