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ボルネオの自然
なぜ熱帯雨林が消えていくのか?

2004/9/17
草野 孝久

1. ボルネオの森と生物多様性が消えていく

熱帯地方のジャングルの生物多様性の高さは、40億年以上かけた地球の生物進化の結果だといえます。だから、熱帯雨林とそこに存在する生物の多様性を保全していくことは、人類全体に与えられた貴重な遺産を守り抜くことを意味します。また、将来の世代のために自然資源や自然環境を守ることでもあります。
しかし、世界中の熱帯雨林は、急速な開発の波に呑まれ減少を続けています。現在、熱帯雨林は東南アジア、中南米、アフリカの一部にしか残っていません。東南アジアに残存する森林面積の20%はボルネオ島にあります。

 このような速さで開発が進めば、世界中の熱帯雨林は100年もしないうちに姿を消し、多くの生物種は発見される前に消滅してしまうでしょう。ボルネオのジャングルも例外ではありません。サバ州で開発から保護されている森林は、全土のたった11%にすぎません。

 なぜこのように開発が急速に進んでいるのでしょうか。

2. 木材輸出で発展したサバ州の経済

1881年から第二次世界大戦までの間、現在のサバ州地域は英国の植民地として統治され、英領ボルネオ木材会社が木材の伐採と輸出を独占していました。第二次世界大戦が終わった1950年代には世界各地の戦後復興が本格化し、木材の国際的な需要が急上昇しました。サバ州からの木材輸出も増加し、1959年には、サバ州は世界第二の木材輸出地域になっています。

 1963年にサバ州はマレーシア連邦の一州として独立をしました。連邦国家の一州というのは、大きな自治権を持っています。なかでも特にサバ州政府が力を入れて獲得したものは、森林の管理権でした。当時、隣国のフィリピンが熱帯雨林の木材を輸出し巨額の外貨を獲得していたので、サバ州政府も森林管理を連邦から完全に分離し、独自に管理できるようにしたのです。

 1973年、サバ州の木材は世界市場の20%を占め、サバ州は1990年まで世界第二の木材輸出地域の地位を保ちます。1970から80年代のサバ州の経済は、木材輸出で急成長し、マレーシア13州のうち第一のGDPを誇っていました。1979年にはサバ州政府の財源の75%以上が木材輸出からの収入になっています。この時期に輸出した木材のほとんどは、経済成長著しい当時の日本に買われました。ボルネオ島からの木材が家や家具などに使われ、豊かになっていく私たちの生活を支えてくれたのでした。

 サンダカンの町はいまでは寂れていますが、当時は世界に名だたる木材積出港として栄えました。木材景気の恩恵に預かり、町は発展し、サバ州の開発も進みました。同時にサバ州以外の資本や移民も急増しました。好景気に魅せられ、またサバ州が労働者を必要としたため、多くのインドネシア人やフィリピン人が流入してきました。

3.消失した森
 木材輸出量は年々増え、サバ州の森林はものすごいスピードで消滅しました。このままでは森林は減少し輸出する木材がなくなり、州の財源も消滅するので社会経済の発展に支障を来すということを早くから指摘する人たちもいましたが、伐採は止まりませんでした。全土に占める森林率は1972年に86%だったのが、現在は50%以下になってしました。この数字は、サラワク州の70%や日本の67%に比べると、決して大きいとはいえません。そして、そのほとんどは伐採や焼き畑の影響を受けた二次林です。残っている原生林はほんの数%に過ぎません。 

 残された森林にも商品価値のある樹は減少し、木材輸出産業は急速に衰退しました。現在では林業のGDPに占める割合は、4%以下になってしまいました。

  サバ州政府は、1990年代に入ると伐採を制限し、植林を奨励するようになりました。しかし、伐採された土地の多くはプランテーション農場として開発されています。他方、森林保全区や原生林保護区などでの不法伐採が後を絶ちません。

*この文章は、「環境と開発,」斎藤千宏編著, 日本福祉大学刊(2004):第14講 ボルネオ島の自然保護, pp69 (CD-ROM教材)の一部を書き直したものです。

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