BBEC
ボルネオの自然
甥っ子、姪っ子、家族との湿原生活

2004/6/1
坪内俊憲


タビン野生生物保護区入口に残る
大木にびっくりの子供たち 

工夫を凝らしたエビ、貝料理に舌鼓 

生息域管理コンポーネントの成果として野生生物保全区域設置提案を提出したものの、なかなか認可まで時間がかかっています。これまで住民集会を開催し、住民の若者30人をキナバタン河スカオ村で実施してきたオランウータン保全プロジェクトへ視察研修に送り、つづいて協力隊員や日本からの取材陣、研究者にティドン族の村にホームステイしてもらうなど、保全活動の持つポテンシャルについて理解を促進してきました。

しかし、これまで一緒にフィリピン、キューバ、モンゴルと生活をともにしてくれた家族からお父さんの仕事の評価を受けておりませんでした。そこで、息子の春休みを利用してダガット村を訪問することにしました。日本の学校もたまたま休みなので、私のふるさと徳島からほとんど出たことが無い受験を控えた甥っ子、姪っ子にもきてもらうことにしました。草野チーフアドバイザーからは「日本の便利な生活から突如水道、電気、お風呂、トイレが無い生活に掘り込むと拒絶反応が起きて、今後二度と坪内さんの言うことに耳を傾けてくれないぞ」警告をされました。が、若いうちにいろいろ知ることは子供たちの発達に大きく影響を与えると期待して、強行しました。(ちなみに、私も休暇を取っての旅行です。)

道中、延々と広がるアブラヤシプランテーションを見て、そこで作られる油が日本に送られ石鹸、シャンプーやいろいろな物がができていることを話しながら旅をしました。キナバル山を超え、セピロックでオランウータンを見て、約400kmを8時間かけて移動し、2時間ボートに揺られてダガット村につきました。到着早々、村の人たちのいろいろと工夫を凝らした出迎えをうけてびっくり。そして、3回の試験ツアーから勉強した村の若者が周辺の自然と生活を言葉で語ってくれました。

村のみんなとニッパヤシ細工工作
百年ほど前から伝わるティドン族のお祝い用の衣装を着て見せてくれた村の リーダー、パティールさん 
日本人初の貝ハンター免許皆伝の息子も泥に埋まり助けてもらう羽目に

甥っ子、姪っ子、息子、そして家内はうっそうとしたい熱帯雨林の中に差し込む太陽の光を見て感激し、ワニがいるといっておっかなびっくりで河で沐浴し、ヤマビルにかまれたり、ゾウに踏み荒らされたクワレシダをみて、テングザルの鼻の大きさにびっくり、そして、湿原に住む人たちと一緒に同じものを食べ、生活を体験しました。

ハイライトはシレナシジミ狩り。ボートで10分ぐらいのニッパ林の中へ。潮干狩りと聞いていたので「なんで森の中に貝がいるの?」と素朴な疑問。そして、一歩ニッパ林の中に入るとそこはずぶずぶ沈んでいく泥。ティドンの人たちはあまり 沈まずにすいすい歩いていけるのに、小さな甥っ子、姪っ子、息子はずぶずぶとひざまで、腰まで泥につかり身動きならなくなり、次々と助けだされていました。取るのはシジミといわれてもにわかには信じられないような拳大のシジミ。ティドンの若者からここにいるといわれてもなかなかわかりませんでしたが、彼らの助けでたくさんとれました。これは潮干狩りではなく熱帯のニッパ林中でのシジミハンティングだ、ということになりました。そして、唯一村の人たちの助け無しに シジミを取ることができた息子が最優秀シジミハンターとなりました。一時間ほどの究極の泥遊び。写真を撮るのも忘れて、楽しむ受験を控えた甥っ子、姪っ子の笑顔が印象に残りました。そして、村に一日しかいられないことにとてもがっかりして、帰路に着きました。姪っ子は村のリーダーの家に泊まり、奥さんの手縫いのバジュクロンをお土産にもらい感激して、「もう一度きたい」、「友達と来たい」を連発していました。

まったく関係無いように思われる少数民族の湿原での生活が日本人の生活と関係があることを知って、彼らの今後の勉強に少しでも役立ってくれればと思いました。四国から出たことの無い甥っ子、姪っ子にとっては強烈な経験でしたが、私にとっては彼らの驚きがとても新鮮で、いい評価をしてもらい仕事に対して自信を少し回復できたようにおもいました。もっと、もっと、石鹸やシャンプーなどの原材料を提供するために消えていく熱帯雨林の周辺で生活する人々と日本の消費者とが連携できる場を作りたいと思っております。

村長自ら披露してくれた村の伝統武芸 
ホームステイ先の奥さんが作って
プレゼントしてくれたバジュクロン
衣装が体にぴったりで驚きの姪っ子と妻
村の人たちと再会を期して

 

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